母の愛

私は、生後ニか月にして母から愛を貰う事を諦めたらしい。

『たとえば非常に感情的な母親に育てられるとき、非常に優秀な頭脳に生まれついたがために、生後一,ニヶ月ですでにこの母に対して泣き叫ぶことは無駄なだけでなく、母の怒りを刺激し、不快な、あるいは危険な局面を引き出すことに思い至り、泣かなくなり、感情を閉ざすためにかえって知能が遅れているような外観を呈することがあります。この子は生まれつき鈍い子だと思われていたのが、かえって生まれつき鋭敏なために内向自閉してしまったわけです。この子が生まれつきもっと鈍感だったら、泣き立てて攻撃的になり、それが能動性となってかえってはっきりした子供に育ったかも知れないのです。たびたび言いますように、その質と後に加わるものの量の微妙な組み合わせで各人各様の性格になります。』
(木田恵子著
やさしい精神分析 子供の心をどうひらくか)


学びの場での輪読。
ちょうどこの箇所があたった。
読みながら笑ってしまった。

一体、何時から。何処から、私は母をこんなにも嫌い始めたのか?
ずっと考えていた。
まさか、生後ニヶ月にして
コイツ使えない!
と、判断していたとは。。。
思ってもいなかった。

姉と妹は、ごくフツーに育ち、
フツーに社会人になり、フツーに家庭を持ち、フツーに生活している。

何で私だけ? おもうよね。
私が悪いから。私の性格が曲がっているから。 おもうよね。

小学生の頃、
姉がどこかで覚えて来たらしく、母に「ね〜。わたし、感受性強いよね!」 と同意を求めていた。
私は後ろで『アホか! アンタの何処に感受性がある?』
もちろん心の内。呆れていたのを今でも覚えている。

私の様なのを “愚鈍” て、言うのかな?
同じ頃、思っていたけれど、どうやらそうではなかったらしい。

『優秀だから』
嬉しい。姉や妹に較べて、私は優秀。
けれど、意味のない優越感。
虚しいよね。
今更…

思春期、青春期に持てていたなら。
私の人生は違っていた。
もっと、楽に生きられた。
もっと軽くしなやかに、踊り歌いながら…

などと思うと、余計に虚しくなる。

神様。なんで?

同じ問ばかりを繰り返している。