川崎殺傷事件

悲惨な事件が起きた。
51歳の引きこもり男性が小学生の列に刃物2本を持って突っ込み19人を死傷。
小学生女児と外務省職員が亡くなり、犯人は自殺。
亡くなった方への哀悼。
傷付いた子供達への心のケア。
報道は同情で満ち溢れている。
犯行現場には花や菓子などがうず高く積み上げられている。
一方でその場で自殺した犯人への批難。憎悪に満ちた報道も満ち溢れている。
『死ぬならひとりで死ね!』
そうは言わないで欲しい。の声もあるけれど、掻き消されがち。
引きこもり= 犯罪予備軍
の図式が全力で作り上げられようとしている。

私だって、11歳の女の子の死を可哀想に思う。
39歳の働き盛りの外務省職員の死を気の毒と思う。
遺された家族の辛さ。少しは思う。
けれど、その家族には国からの援助が限りなく注がれるだろう。
有名私立小学校に通っていた女児には、僅か11年とはいえ、充分に愛され経済的に恵まれ、幸せを絵に描いた様な日々があったであろう。
犯人が51年かけても、一瞬たりとも得られなかった幸せな11年であったであろう。

私には彼らへの哀悼の思いより、
犯人の辛く苦しく暗かったであろう51年の日々に同情する思いの方が強い。

彼の心には怨みしかなかった。
惨めでしかなかった人生への復讐をあんな形で遂げて、自死する方法しか考えつかなかった。
愚かである。その愚かさを産み出したのも家族。社会。
彼も犠牲者。

少し前まで、自分の辛さを周囲のせい。社会のせいにしてはいけない。全て自分がうみ出した事。全て自分が悪い。自分で責任を負い、自分の力で解決すべき事。死ぬならひとりでひっそりと。
それが当り前。と思っていた。

精神分析や心理学を学びはじめて、考え方が変わって来たようだ。

あの犯人を創り出したのは周囲。社会。
彼自身にはどうする事も出来なかった環境。大人のエゴ。押し付けが、
彼の心を歪め、破壊し尽くした結果の狂気。に思える。

幼い頃、両親が離婚し父の実家に預けられた。
離婚、と言うからには、夫婦仲は最悪だっただろう。喧嘩の絶えない家庭。幼児の彼に居心地の良い温かい家庭ではなかっただろう。
父の実家に。結果的に母親に捨てられている。一概には言えない事情があった可能性はある。然し、母にどの様な言い分があったとしても、彼の思いは「母に捨てられた」の一言に尽きたであろう。

預けられたのは、あくまでも祖父母の許。
同居していた伯父家庭ではない。
伯父夫婦には同居人が増えただけの事。彼の生活、養育をしていたのは祖父母。伯父夫婦の子供達との間に扱いの差があったとしても仕方のない事。理屈は理解る。然し、それは大人の理屈。幼い彼に理解出来ただろうか。感受性の強い子であったとしたら尚更。
伯父夫婦の子供達は、今回、彼が傷付けた小学校に通っていたという。カリタスブルー。と呼ばれる特別な青色の制服を着て、フェルトの帽子を被って。小綺麗な可愛い姿で登校する。一方、彼は何処にでもある安い服で公立小学校へ。この待遇の違いは、どれ程彼を傷付けた事か。辛かったか。理不尽に思えたか。

近所の理髪店の主人はその扱いの差を覚えているという。
二人の子を連れて来た母親らしき女性の「この子の髪型を整えてあげて。その子は丸刈りで良いから」
内向的でおとなしい子。自己主張しない子。親に捨てられた子。AC。おそらく。
であればこそ、心の中のマグマは溜りに溜っていた事だろう。

それでも、一時は家を出ていたらしい。
上手く生きられなかったに違いない。何をやってもうまくいかない。きっと、人間関係で躓いてばかりだったであろう。仕事もお金も無くなって、家に戻ったのだろう。現在の自分を創り出した祖父母、伯父家族への復讐心を基に。はっきり自覚していたかどうかは判らないけれど。
自分がこうなったのは彼らのせい。彼らに養われる権利はある。
そう思って。

祖父母が亡くなった後は、伯父から小遣いを貰って。
家族ではないから、団欒には招かれない。冷蔵庫に入れてある食事を自室へ、自分で運び、ひとりで食べる。掃除や洗濯も自分でやる。受けるのは、最小限の経済的援助だけ。
階下の楽しげな笑い声にどれだけ傷付けられただろうか。

50歳を過ぎて、伯父夫婦は介護を必要とする程年老いて。

彼は、いよいよ死ぬ時が来た。
と覚悟したのであろう。

彼の憎しみの原点。憧れの原点。
カリタスブルーに身を包んだ小学生の群に刃物を持って突っ込む。
それは、幼い日黙って見ているしかなかった従兄弟にかけたかった
「良いなぁ〜。。」
の溜息を40年かけて熟成し、腐らせ、膨れ上がらせ、爆発させた結果。


胸が、痛く苦しく辛く。
何ともやるせない私も、矢張り
異常なのだろうか。

少し、世間一般とは感覚がズレている。とは、思う。

ズレても仕方のない育ち方をして来た。
あの犯人ほど壮絶ではないけれど。
それでも、私にとっては心の複雑骨折。修復不能
そう思える程の辛さだった。

現在も引きこもりに近い生活を送っている。
それでも、犯罪者にはならずに済んでいる。
本当に感謝。しかない。

小学低学年でイエスの名を知らせて貰えた。大事に思って下さる方が在ると教えて貰えた。

それは本当に大きな事であった。

その後、聖書を読み、教会に行き、キリスト教と本格的に向き合うのは、高校を出てから。
それでも、キリストの事は、心の隅にいつもあった。
小説、ドラマ、映画。
キリスト が絡む事柄には目と耳と心を澄ませていた。

守られていた。
導かれていた。

心から思う。
感謝しかない。

辛く苦しく情けなく。。。
けれど、恵まれていた。

ほっとしている私がいる。。。