人生時計

ルハマ on Twitter: "集団に入れば人との関りが生じる。
こんな事があって…
そういう時は…
一々牧師にチクリ、処し方を教えて貰っている

ふと思った
子供みたいだ。いや子供なのだ。きっと子供は親に逐一話し、人との関わり方を教えて貰うのだ。
私には、そんな親との関りさえなかったから。

今、学んでいる。"


このツイートを投稿してから、診断メーカー。
ただの遊びアプリ。
けれど、時々ドキッとさせられる。

私の本当の年齢は13歳。との事。

13歳のあの日。
私は自分の時を刻む時計を止めようとして失敗した。
何事もなかったかの様に時計は時を刻み続けた。
誰に知られることもなく。

なのに、13歳のまま?
あの時、止まってしまっていた?

いやいや、そんな事はない。
数年前からは、動き始めた筈。
18歳位にはなっている筈。

なってない?
牧師に人とのトラブルをチクリ、
対処法を教わっているようでは。。。
13歳からさえ後退している?

それでは間に合わない。
本当に時計の針が止まる時は
オトナになっていたいのに。。。

20代の頃。
今、思うに最も好きになった人に
「大人になりなさいよ」
言われて 「嫌です。大人になんかなりたくない!」
「言うと思った」

言われてしまった事を思い出す。

今なら、大人になりたいです!

素直に言えそうな気がする。

何処にいるのかも、何をしているのかも判らない彼に。

伝えたい。

クリスチャン

昨日はクリスチャンらしからぬ暴言を吐いてしまった。
愛と赦しを標榜するクリスチャンが何と言う事を!

だろうか?
どんな人をも愛せるから。
何をされても笑って赦せるから。
クリスチャン?

誰も彼もがマザー・テレサになれるのなら、クリスチャンだらけの欧米は素晴しい世界になっている筈。。

かつては私もそう思っていた。
洗礼を受ければ、素晴しい人格者になれる。と。
なのに、何時まで経っても変わらない。
自己嫌悪、自己否定は得意中の得意だから、自分を責めて責めて。
辛かった。

現在、所属している教会に辿り着いて。被虐待児であった事を認識して。

やっと少し前へ。

主イエスを信じれば罪が赦される。
赦されただけ。いのちの書から、犯した罪の箇条書きを削除して貰えるとだけの事。
罪を犯し、人を愛せず赦せず、感情に支配される特性はそのまま。私の肉に内在している。
聖霊が、少しづつ少しづつ変えて下さっているのだけれど。。。

私の怨念は、根深く根強く、シベリアの凍土より硬い。

神の国の門を潜って、栄光の体に造り変えられる瞬間迄、恨み辛みを呟き続けるのだろう。

それでも、現在の教会に通う様になって、随分変わる事ができた。

クリスチャンらしく在らねば!
と自分の本意を押さえ込み、気付かぬふりして無視し、愛と赦しの祈りをしていた頃に比べれば、楽になった。

神様!
悔しかったんです!!
悲しかったんです!!
赦すなんて到底出来ません!!

初めてで本音の祈りをした時に流れた涙を忘れない。

本当に、神が赦して下さっていると実感した。

自分の罪の深さを思い知って。
私は楽になった。
パウロやルターの言う『キリスト者の自由』を少しだけ、理解出来た気がした。

後は、前を向いて歩む!

その為には、この心のあおみどろを何とかしなくてはならない。

過去なんか振り返っても、過去は変えられないのだから。

よく言われる。
けれど、過去の分析をきちんとしなければ。
何が私の身に起こり、何がどう作用し、何故こういう私が出来上がったのか。
結果をもたらしたモノが何であったのか。
知らなければ前へは進めない。
私にはそう思えて。

この絶望と希望の狭間。
アコルの谷から過去を見つめようと。
なのに、なかなか気が進まず。
もう、過去はどうでも良くなったのかな?
思ってたら、昨日の狂気。
昼間だった。夜なら理解る。
感情が昂ぶって、オーバーに派手に
喚いてしまう。

けれど、昨日は真っ昼間。
夏休みが辛い。家庭に居場所がない。
に反応してしまった。
過剰な迄に。
一日経っても、まだ、心は鎮まらない。

まだまだ完治までは道遙か。

ゆっくりじっくり。
行きつ戻りつ。

焦らず行こう。

続けよう。。。

夏休みがつらい 家庭に居場所がない子どもたち

ヤフーニュースのタイトル。
見ただけで記事内容の察しがつく。
鼻の奥が熱くなって、涙が湧いてくる。

夏休み明けに自殺が増える。
学校で虐められる。学校に居場所がない。
その辛さ、理解る。
私には家庭に居場所が無かった。
学校がある日はまだ良かった。
学校が休みになるのが本当に辛かった。特に夏休みの40日は長過ぎて。

私は母方の祖母の家へ逃げた。
祖母は温かく迎えてくれた。
けれど其処には母の妹がいた。
母は長子。祖母の末子は、私より4歳年上。叔母にとって、私の母こそが自分の “母親” であったらしい。だから、私は叔母には歓迎されては居なかった。
それでも、祖母の家の方が自分の家より居心地が良かった。祖母は何も言わず、休みに入ると現れる私を迎え入れ、何も聞かず、休み明けの直前に帰る私を送り出してくれた。
その間、終始笑顔で受け入れてくれていた。祖母とあの古びた茅葺屋根の農家が、唯一、心の休まる場だった。私を心よく思わない叔母には無視されていた。と言うより、意地悪もされたのかも知れない。
私はその頃は何も感じていなかった。何の邪気もなく叔母を無視していた。
母は自分の6人だか7人だかの弟妹が集まる場で、私の悪口を散々に言ってたらしい。
親なのだから、悪口ではない。
自分の子を、完膚なき迄に否定、中傷、嘲笑してくれた。
どれほど、自分は心を痛め苦労させられているかを。
全て、自分目線で。私の悲しさ苦しさなど、あの人の眼中には無かった。

結果。
50 を過ぎても、目の前であからさまに 「役立たずが!!」と罵られ
無視された。

現在は、一切関わらない事にしている。
アチラはアチラで嘲笑っているだろう。それでいい。祖母を除く「中村家一族」など私の眼中にはないのだから。

父母、姉妹、父方の祖母、中村家一族を神の国へ招待などしない。
アブラハムの懐に抱かれるラザロの如く、
私は主イエスの懐に抱かれつつ、
遥か下方のお前達を見下し、声高らかに嘲笑ってやる。
お前達が私を嘲笑ってように!!


わっ!
神様ゴメンナサイ!!
なんてことを!!!

でも、これが現在の私の偽らざる想い。

いつか、あなたが消し去り、癒して下さる事を信じます…
armen


と、話が逸れに逸れた。

元に戻そう。
夏休みだけでなく、長く休みが続く時は、祖母の家へ逃げた。
帰ると、姉と妹の仲はより親密になっている。中に入れぬ寂しさを抱えていると、休みになる。逃げる。その間に更に濃密に。。。
その繰り返しで、私の家庭での居場所は無くなるばかり。

それでも、私には祖母が居てくれて良かった。
バスを乗り継いで、小学生の私にも行ける場所に居てくれて良かった。
私にも逃げ場はあった。

けれど、今時の子は。
核家族化してしまい、祖父母の家からは遠くに住み、更には実家との交流も薄くなっているであろう、今時の子は。。

どうしているのだろうか?

子供時代の40日と大人になってからの40日では、長さの感覚が全く違う。
一日は一ヶ月の如く。
長かった。

さっきまで、子供時代の自分の辛さにドップリ浸かっていて。
だから、この書き込み始めたけれど。
今、逃げ場のない、正に今、虐待を受けている子の、辛さ悲しさに、
また、泣きたくなっている。

そして、
“夏休み” と聞くだけで様々な悲しさ苦しさ辛さ。
フラッシュバックに胸が潰れる思いの 虐待サバイバー 同士の大人達よ!

思い切り泣こうよ。
良いんだよ。
泣いたって。
ないて、うらんで、さけんで、
心を晴らそう!

でないと、前へ進めない……

家出

高校を卒業して就職。
すぐに辞めて家へ戻る。

なぜ辞めたのか。これからどうしたいのか。

やはり、何も言えず、何も言わず。
“家出” と言う強行手段。

東京へ。
都会への憧れ。華やかさへの憧れではない。情報が溢れる街への憧れ。

比定され嘲笑われ馬鹿にされ、
気狂い病院に行け! と罵られ。

それでも、まだ自分を諦めてはいなかった。
何かある。こんな私にも出来る事がきっとある。
東京へ行けば見つかる。
そう思った。
現在と違って田舎と都会の違いは歴然としていた。
映画の公開が3ヶ月遅れていた時代。
最新の情報。様々な情報。
田舎に居ては得られなかった。
だから、東京へ出て自分に出来る事を見つけたかった。
自分が生まれて来た意味が判ると思えた。

そして見つけた。
とんでもないモノだった。

逃げ出して生き直し。
けれど、母からの呪いの言葉が私を苦しめた。

母がくれた否定の言葉は
「やっぱりね。私なんかに出来る訳がなかった。役立たずの私がその気になったのが間違いだった」
小さな躓き。低い壁。
起き上がろう。乗り越えよう。
などの闘志。フツとも湧いて来なかった。


順を追って、細々と書いて行こうと思っていたのだけれど。

なんか、のらない。

日記にしよう。
日々の思いの中で少しずつ語っていこう。

そうしないと、また、あの暗闇の中に戻ってしまいそうな気がする。

重複しても構わない。
思い出した時に、年次など構わずに
少しずつ書いて行こう。

今は、そう思う。


そして。
話が戻って。

一旦は社会人として家を出たのに舞い戻り、挙げ句の果に家出。
いい歳をしてみっともない。

ずっと、誰にも言えなかった。
話した事はなかった。
それが、自分を被虐待児と認識して。
何かの話のついでに牧師にポロリと。言ってしまった。
心理学を学んだ牧師に
「良かったんですよ。それで。
そう言う環境にある子はなかなか親から逃れられないんです。そして、蜘蛛の糸に絡められるように、身動きが取れなくなってしまうんです」

聞いた時はピンとは来なかった。
ただ、あの行動を否定されなかった事が嬉しかった。

心にその事があって、ツイッター等を見ていると、確かに! と思う。
大人の引きこもり。
正に親が吐き出した蜘蛛の糸に絡まれ、がんじがらめ。
自立出来なくなっている。
障害者の自立を妨げているのも、社会のエゴ。

お前なんかが外へ出て何が出来る!

その呪縛から逃れられなくなっている。

私の家出。
アレはアレで良かったのだと。。。

何も言わない

小学高学年の頃からだろうか。
何も言えない。舌が動かない。
から、何も言わない。に変わった。
そして、
懸命にやっても
「何をやらせても!この役立たずが!!」
言われるのなら、何もしない事にした。
母からの呼びかけなどは無視。
何も答えない。何も手伝わない。
聞こえないフリをする。
二階で本を読んでいる私に母が階下から怒鳴る
「何様のつもりだ!?」
「私? 私はお姫ぃ様よ。私の為にお働き!」
心の内で返事していた。

高校進学。
姉の「アンタが普通科に受からないと私が友達に恥をかく」
に反発して、実業高校の商業科へ。
大学に入り、日本文学か日本史を深く学びたかった筈なのに。
高校卒業を前にして
「大学に行きたい」を言えず、
寮に入れる工場勤めを決めた。
当然、面白くなく、半年も持たずに辞めた。

何も要求せず、何も言えず、何も言わず・・・

最初っから、私は自分の人生を歪めていた。

何をやらせても… この役立たずが!!

母から貰った嘲笑、罵倒の言葉の数々。
その中でも最も強く私の中に残り、
私の人生に最も影響を与えた言葉。

「何をやらせても…
この役立たずが!!」

自己否定の塊を作ってくれた
母の子育ての成果。

おかげさまで、私は自分の価値を認められず自己嫌悪だけを身に纏って生きて行く存在とさせて貰った。

母が育て上げた作品は歪められ汚され、苦悩の中でのたうち回る存在となった。

母の言葉に傷付くばかりで、何一つ反論出来ず、内側に怒りと絶望を溜め続けた子供時代。

中学生になってすぐ、自殺未遂。
とは言っても誰も知らない。
誰にも気付かれない自殺未遂。

町の薬局で何故か簡単に買えた硫酸と、牛乳を持ち山の中へ。
酸と乳成分は分離し堪らぬ程の腐敗臭を発生させる。

無知で良かったのかも知れない。
とても飲めた物ではなかった。

すごすごと家へ帰った。

例の如く、私の表情態度の変化に気付く筈もない母。
私の失敗を見つけ罵倒し、ブーっと膨れて黙り込む姿を面白がる事にしか興味のなかった母が気付く筈もなく。

父にしろ姉、妹、あの頃はまだ生きていた祖母。
誰一人、気付きはしなかった。

未だにその事を知っている家族は居ない。

取り敢えず、自殺敢行は諦めた。

そして、太宰治に心酔した。
母は「太宰なんか読むから!」と、相変わらずの罵倒しかしなかった。
何故、この子は太宰ばかりを読んでいるのか?
そんな事に心を砕く人などではあり得なかった。

「だから、お前はおかしくなる!」
母の言い分であり、世間一般の認識。

けれど、私は太宰に勇気を貰った。

とてつもなく生意気だけれど。
偉大な文学者に対して不遜極まりないけれど。

『この人だって生きたんだ。生きて行けたんだ。だったら、私ももう少し生きてゆけるかも知れない』

そう思わせて貰えた。
生きていて良いのかも知れない。
それを勇気を貰った。
と言うのだろうか。

取り敢えず、高校を卒業する迄は、生きていられそうな気がし始めていた。
太宰さんのおかげで。

それでも二十歳を過ぎて生きる自分の姿は想像出来なかった。
なのに、生き延びてしまった私は
いつしか、“この役立たず” を自分の言葉としてしまっていた。

何かをやろうとする。
全てが順調に進む訳などないのだから、失敗がある。
失敗を繰り返し、壁にぶつかりながら、試行錯誤を繰り返し、少しずつ成長し、自分の力とし成果をあげてゆく。

それが、フツーの出来る人の成功への道。

されど、私は最初の失敗、背より少し高い壁の前で溜息を吐く。
そして思う。
『出来る訳ないよね。私なんかに。何をやらせてもダメな役立たずなんだから。そうよ。やりたいと思った事自体が間違いだったのよ。やれる訳がなかった!』

何とも諦めの早い人になっていた。

母の教育は見事に実を結んだ。

何も言えない

父にも母にも何も言わない。
言われた通りに行動しているうちに
何も言わない子から、何も言えない子になっていた。

生まれつき右目だけが弱視の私はトロかった。バランスが巧くとれず、ヨロヨロヨタヨタしていた。
母の苛立ちは募ったようだ。
目が悪いからなどとは考えてもいなかったようだ。
よろける。近くの何かにぶつかる。倒す。壊す。
母は怒鳴る。最初の頃は謝っていたのだろうか?
覚えてはいない。
覚えているのは黙り込んでいた事。
何もかも私のせいにされた。

茶碗が割れている。
「また、お前かー!」
私は首を振る。
「お前に決まっている。こんな事をするのはお前しか居ない!!」
全てが私のせいにされた。。

私は何も言えなかった。

反論したくても、口蓋に舌がくっついて動かない。
反論したかった。
違うと言いたかった。
言いたい事は、喉元まで上がって来ていた。
然し、舌が動かない。
言葉を発する為に口が開かない。
代わりに涙が出そうになる。
口惜しくて。
けれど、涙を家族には見せたくない。
怒鳴られるのは大抵夕飯時。
お茶碗で顔を隠した。
それでも我慢出来ない時は、トイレに駆け込んだ。
ひとしきり泣いて。
涙を拭いて、素知らぬ顔で食卓に戻った。

誤魔化せた。
思っていた。何も言われなかったから。

けれど、大人になって気付いた。
道ですれ違う小さな子。
知らない子、初めて会う子であっても、ついさっきまで泣いていた子は判る。
グシャグシャの表情から察しがつく。
私は立ち止まり、振り返り、擦れ違った子のランドセルを見ながら思った。
オトナなら、子供の感情をその表情から読み取るのは容易。

あの人は何も言わなかった。
気付かなかった筈がない。
いやしくも親であるなら。
敏感に子の表情から感情を読み取るのでは?
それとも、あの人は、私の顔すら見ていなかった?


小学校に入る前から、
母子関係、父子関係、
共に壊れていた。

後の事は推して知るべし。
である。