虐待サバイバー

ツイッターで見つけた。
虐待を受けて大人になった人。
私と同じような人?
程度の認識。それでも、なんだか嬉しい言葉。

カウンセラーに確認
「虐待を生き抜いた人。サバイバルして来た人。の意味です。」

私にサバイバルなど無縁と思ってた。
根性ないし。努力なんか嫌いだし。

けれど、
そうかぁ、私は生き抜いて来たんだ。
サバイバルして来たんだ。
偉かったんだ。
よく、生き抜いて来たね。
頑張ったんだね。

そう思ったら、鼻の奥が熱い。
涙、溢れそう。

はじめての自分への労いの言葉。
かけている。

自分を褒めろ! とか 自分を愛せよ!
とか、正直、ピンと来なかったけれど。。

あれだけの虐待の中を私は生き抜いた!!

そう思えば、偉かったね。頑張ったね。
言ってあげたくなる。

私には何もない。
何事も成し遂げられなかった。
やる前から、「出来る訳ない」
なけなしの勇気振り絞って、何とか始めても、小さな躓きひとつで「ホラ! やっぱりね!! 私なんかに出来る訳がなかった。何をやっても駄目な役立たずだもの」

諦めの早さはピカイチ。

幼い頃から母から虐待を受けていたと知ったのは、還暦を過ぎてから。
馬鹿馬鹿しい。
この歳になってから、自己肯定しろと。貴女には価値がある。生きていても良かった。

そんな事を言われても、今更どうなるの?
気力も体力も知力もこれから、落ちていくだけなのに。
今更、自己肯定してみたところで、何が変わる?

私には何も無い。
その現実があるだけ。
母への家族への親族への怨みが増すばかり。
せめて、30代の頃、知る事が出来ていれば、変わっていたかも知れない。
いや、変わっていた!

もどかしさ。悲しさ。悔しさ。

だから、この日記を書こうと。
生まれ出た瞬間から書いてみようと。

なのに、早速横道。
けれど、いいや。
この感じでいこう。

取り敢えず、私は虐待からのサバイバルで精一杯だった。
生き抜くだけで。

何かを手にする余裕などなかった。
仕方なかったんだ。

今日は、良く頑張ったね!
と、褒めて労ってあげよう。